益者三友、損者三友

※この記事は2024年5月20日にX(Twitter)に投稿した記事です。

人間、生きていれば色んなトラブルがあります。
天災など避けられないトラブルもありますが、人災に関しては避けられないものもあれば、こちらの意識で少し確立を下げられるものもあります。
今日は、そんな自分の努力で人間関係のトラブル確立を下げられたらの話。

表題の言葉の出典は孔子の「論語」。いわゆる友人としてお勧めするタイプとお勧めしないタイプを簡潔に表した言葉です。

お勧めするタイプは「正直な人」「誠実な人」「物知りな人」。
お勧めしないタイプは「うわべだけの人」「人当たりが良い不誠実な人」「口先だけの人」。
もう少し丁寧に解説すると

〇お勧めするタイプ
「正直な人」
正直な人を友にすれば、自分の過ちを聞くことが出来る。

「誠実な人」
誠実な人を友にすれば、自分もその影響で誠実な人間になれる。

「物知りな人」
物知りな人を友にすれば、自分も物知りになれる。

〇お勧めしないタイプ
「うわべだけの人」
うわべだけの人を友にすれば、自分の過ちを聞くことが出来ない。

「人当たりが良い不誠実な人」
人当たりが良い不誠実な人を友にすれば、自分の誠実さが失われる。

「口先だけの人」
口先だけの人を友にすれば、自分を進歩させることは出来ない。

後者はそのまま私ですね。「友人にしたくない」とよく言われるのでたぶん合ってると思います。もちろん、これが全てという訳ではないのですが。

■孔子にも嫌いな人がいました
孔子と言えば「聖人」。
でも孔子は自らを聖人なんて言わず、「俺はこんなにダメな奴だから…」とよくボヤいています。
なかなか出世できずに苦しんでいた時期に、反乱軍の招聘に応じようとして弟子に諫められると「せっかく声を掛けてくれて理由もありそうだしさ…。俺だって才能発揮する場所も欲しいし…。誰でもいいから俺を使ってくれないかな…。」と現代人っぽい愚痴をこぼしています。

だから当然のように嫌いな人もたくさんいました。弟子たちにも「こういう人は嫌い」と語っています。ではどんな人を嫌ったのか?
これが多すぎて書ききれない。「寛ならず、敬せず~」とか「悪口言う人嫌い」とか本当にたくさんボヤいています。こういうのを見ると「人間は2500年前からあんまり変わってないな」と感じますね。

「意なく 必なく 固なく 我なし」
では孔子はどんな人物を理想としたのか?
孔子は理想の人物像をたくさん上げすぎてキリがないので、有能な弟子がまとめた意見のほうが分かりやすいです。
弟子たちは師匠の孔子を「意なく 必なく 固なく 我なし」と評していました。

「意」…主観だけで憶測すること
「必」…自分の考えを押し通すこと
「固」…一つの考えに固執すること
「我」…自分の都合しか考えないこと

この4つが孔子には無かったということです。まあ弟子に諫められて考え改めたりと良く言えば柔軟、悪く言えば信念が無い。だから孔子は自分を「ダメな奴」と言っていました。でも「ダメだと分かってることも凄いよね」と自分を励ましたりしています。

■人間関係は「しんどい」
「人間関係が楽しい!」と言える人は少数ではないでしょうか?家族や友人であっても、感情のすれ違いが起きるだけでストレスが溜まります。
ましてや仕事仲間、見知らぬ第三者、顔も見えないSNSなど、すれ違いは起きて当たり前。それどころか変にこじれると訴えられたりします。これでは大変に息苦しい。でも孔子を見ると物事の根本は変わっていない様に思います。しかも孔子の時代は人間関係のすれ違いで普通に殺されたりします。
様は昔から人間関係は「しんどい」「でも仕事や家族関係で向き合わなければならない」と苦しんできたわけです。

■「しんどさ」は変わらないけど
じゃあトラブルを無くすにはどうすればいいか?
簡潔にいえばトラブルは無くせません。生きてる限り仕方がない。
でも「減らす」ことはできます。

表題の孔子の言葉も、その後の孔子のボヤキも「こういう人と付き合いが多いとトラブルが多くてしんどいから、なるべく付き合う人や自分の性格も含めて考えていこう」という格言です。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」の言葉通り、人類の歴史は何度もシミュレーションされています。それを「経験」で学ぶのか、「過去の遺産」から学ぶのか、正直に言えば正解は難しいですが、ある程度学んでおいて損はないのではないでしょうか。

※画像は「守屋洋」先生の「中国古典がわかる!」からです。

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