まず最初に…
この投稿は一連の著名人の不祥事を擁護するのではなく、いわゆる世論を形成するマスメディアやインターネット、私たち第三者の社会的議論について、私個人が思うことを記載します。
あと、私は宗教家でもなければ、善意の第三者というわけでもありませんので、ご査収ください。
表題のお話、有名なお話なので「今更なにを」と思われる方もいらっしゃると思いますが、復習も兼ねてどのようなお話か簡単に説明しますと…
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姦通の罪(今でいう不倫みたいな感じ)で、イエス・キリスト(以下イエス)の前に引き出された女性がいました。
旧約聖書の律法では、姦通罪は石打ちの死刑です(重!)
大衆が「イエス様、ご裁定(石打ちの刑)を!」と声高に叫ぶ中、イエスはこう言いました。
『あなた達の中で、罪を犯したことのない者が、この女に石を投げなさい』
この裁定に大衆は石を投げることが出来ず、みんな女を残して立ち去ってしまいました。
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かなり略しましたが、大体こんな感じです。
つまりイエス様は「罪を裁きたい気持ちは分かるが、同じように罪に問われる覚悟はあるのか?」と確認したら、みんな自分は裁かれたくないので立ち去ったということです。
ここまでのお話で、私の言いたいことは皆さん大体分かってると思います。
最近、著名人の不祥事に対し、マスメディアが世論を過熱させ、大衆は自分の感情だけで石を投げつけているように思うのです。
『詳しい事情は知らないが、常識的におかしいので罰するべきだと発言している』
これは『善意の第三者』というお気持ちなので、そこに自分が裁かれる覚悟はありません。
私個人も概ねその傾向があるので、それを否定は致しませんが、最近の世論はいわゆるネットリンチ的な様相も加わり、「まだ詳細は分からないけど、取り合えず悪いことをしたのだから、罰されるのはしょうがない」という感情が強いように思うのです。
ここからは持論ですが、根本的に悪いのはマスメディアです。
マスメディアが著名人の罪を騒ぎ立て、自部たちの都合の良いように世論を煽って罰する。
これは一種のプロパガンダです。
マスメディアは過去にも忘れてはならない過ちを犯しています。
それは「マスメディアの戦争責任」と呼ばれるものです。
日本が大戦の過ちを犯した要因の一つとして、マスメディアが国民に事実を報道することを怠り、対外強硬論を助長する報道を行ったことで、日本国家は世論にも押され開戦に至り、末には戦争の長期化を招くことになりました。
あげく戦争が終われば、日本国家と当時の日本世論のおかしさを指摘して「日本国家と国民は同じ過ちは繰り返すな」のシュプレヒコール・・・まず自分たちの過ちも報道してみませんか?
要約すれば一部のメディア(全体ではありませんよ)は、とかく無責任に「石を投げろ!」と煽ってきます。私たち第三者は冷静に自分で見聞きした情報を整理しながら、むやみに石を投げないように情勢を見守る心が必要だと思います。
つい先日、袴田さんの無実が58年の時間を掛けて裁決しました。
日本の司法ですら誤った判断をしてしまい、その結果58年の人生を奪うことになりました。
私たちも同じような過ちで、他人の人生を奪うことはあってはならないと思うのです。
表題のお話、民衆が去った後、イエスは女性に
「私もあなたに裁きをくださない。もう罪を犯してはならない」
と声を掛けたそうです。
皆さんも、石を投げる前にこの言葉を思い出して欲しいと思います。