#1267
motoki rei
参加者

> 今、私が子ども達との触れ合いで大切にしていることは、過去の自分と同じような気持ちを味わってほしくないので、その子の理解者になってあげることを大事にしています。

良いですね。この視点が世間の皆さんにはない、というか少ないというか。
「自分だって我慢したのだから、このくらいは我慢しろ。できるはずだ」的な。
私も、過去に自分が辛かったことは、今の子供たちにして欲しくないと思います。
その上で、もっと世の中を良くするための楽しい学びを存分にして欲しい、その辛い気持ちのマイナスがなかったらもっと先に進めるはずだと。

ADHDは私も持っているはずですが、仮にそうだったとしてコンサータなどの投薬をしたいかと言えば、そうでもありません。
日常生活の上では、確かにいろいろ問題がありますが、ただ思うのは、何かを考える時に思いもよらない発想がどこからともなく湧いてくる……みたいなことがあってですね。
投薬をすることによって日常生活が楽になる代わりに、そういうのが起こらなくなるのではないかなと。
さらに言えばこの選択は、自分がADHDだと知ることによって取れるものでもあるのだなと。
だから「知る」ということは本当に、大事なことだなと思います。
ただ、それが多すぎて、今は弊害の方が強く出ている気がするのは残念ではありますけども。